導入:突然の電話、凍り付いた日常
皆さん、こんにちは。Webライターのhidekunです。
今日は、僕がずっと心の中にしまってきた、でも、どうしても皆さんに伝えたい大切な話をしようと思います。それは、僕の母親が認知症と診断された時のこと、そしてそれから始まった、僕たち家族の「新しい日常」についてです。
「認知症」という言葉は、きっと多くの方がご存じでしょう。でも、それが自分の家族に降りかかった時、一体どんな気持ちになるのか、どうすればいいのか…正直、僕も最初は途方に暮れていました。まるで、昨日まで見ていた世界が、突然モノクロになってしまったかのような感覚でしたね。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。
忘れもしない、それは夏の終わりのある日でした。いつも通り仕事から帰宅し、疲れた体で携帯を手に取ると、見慣れない番号からの着信履歴がいくつか入っていました。胸騒ぎがして折り返し電話をかけると、それは僕の妹からの、震える声でした。
「お兄ちゃん…お母さんの様子が、おかしいの…」
その一言で、僕の心臓は一瞬で凍りついたのを覚えています。それまで漠然とした不安はありましたが、まさかそれが現実のものとなるなんて、思ってもみませんでした。
このブログを読んでいる方の中には、もしかしたら僕と同じように、大切な家族の異変に気づき始めている方もいるかもしれません。あるいは、すでに認知症と診断され、これからの生活に不安を感じている方もいるかもしれませんね。
今日の記事では、僕が母親の認知症と向き合ってきた中で経験したこと、感じたこと、そして「こうすればよかった」と後悔したこと、逆に「これは役に立った!」と心から思えたことまで、包み隠さずお話ししたいと思います。これは、ただの体験談ではありません。もしあなたが今、同じような不安を抱えているなら、きっと何かのヒントになるはずです。そして、少しでも心が軽くなる手助けができれば、これほど嬉しいことはありません。
さあ、僕たちの「新しい日常」の始まりから、一緒に見ていきましょう。
展開:初期症状から診断までの戸惑いと変化
「お母さん、最近ちょっと変じゃない?」
妹の言葉に、僕も薄々感じていた違和感が一気に現実味を帯びてきました。振り返れば、最初のサインは、もっとずっと前からあったのかもしれません。
一番分かりやすかったのは、やはり物忘れでした。同じ話を何度も繰り返したり、ついさっき置いたはずの眼鏡を「ないない!」と探し回ったり。料理も、以前は手際よく何品も作っていたのに、段取りが悪くなって焦がすことが増えたり、味付けが極端になったり…。25年間調理の仕事をしてきた僕から見ても、「あれ?」と思うことが増えていました。
他にも、以前は穏やかだった母が、急に怒りっぽくなったり、逆に何をするにも無気力になったり。テレビを見ていても、「これ、いつのドラマだったっけ?」と、以前は知っていたはずの情報の記憶が曖昧になることも。まさか、あの母が…という思いと、「歳のせいかな?」という現実逃避の間で、僕たち家族は戸惑いの中にいました。
「気のせいだよ」「歳をとればみんなそうなるさ」──そう自分に言い聞かせる一方で、「もしかしたら…」という不安が、じわじわと心を蝕んでいくような感覚でした。家族の間でも、「病院に行かせた方がいいんじゃないか?」「いや、まだ大丈夫だろう」と意見が分かれ、どうすればいいのか、正解が見えませんでしたね。調理師として栄養学の知識があったはずなのに、もっと早く専門的な視点から気づいてあげられなかったのかと、自分を責める気持ちもありました。
でも、ある日、決定的な出来事が起こりました。母が真冬の夜に、薄着のまま家から出てしまい、近所の方が保護してくださったのです。幸い大事には至りませんでしたが、このままでは本当に取り返しのつかないことになる。そう確信し、僕たちは母を病院へ連れて行くことを決意しました。
しかし、ここでも壁にぶつかりました。母自身が「私はどこも悪くない」と受診を拒否したのです。何日もかけて、時には説得し、時にはなだめ、最終的には「健康診断に行こう」という名目で、なんとか病院へ連れて行くことができました。
向かったのは、地域の「物忘れ外来」でした。診察室で、医師から告げられた「認知症」という言葉。頭では理解していましたが、やはりその言葉を目の前で聞かされた時は、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けました。同時に、これでやっと母の異変に名前がついた、これからどうすればいいのかが分かるかもしれない…という、ほんの少しの安堵感があったことも事実です。
この診断が、僕たち家族の「新しい日々」の始まりとなりました。
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本編:認知症と向き合うということ ~介護の現実と専門家の視点~
認知症の診断が下りてから、僕たちはまさに手探りで介護の道を進むことになりました。「これからどうなるんだろう?」という漠然とした不安は、日に日に大きくなっていきました。インターネットで情報を探しても、専門用語だらけで分かりにくい。書籍を読んでも、情報が多すぎて何が正しいのか判断できない。
でも、僕はこれまで培ってきた知識と経験が、ここで生きてくると信じました。福祉・金融ライターとして学んだ知識、FP資格で得た金融の視点、そして法律に関する基礎知識。これらを総動員して、とにかく情報を整理し、母と僕たち家族に最適な道を探し始めました。
介護の始まりと、直面した課題
診断が下りてからの介護は、まさに現実との戦いでした。母の症状は少しずつ進行し、徘徊や幻覚・妄想といった行動・心理症状(BPSD)も現れるようになりました。夜中に突然「泥棒が入った!」と叫んだり、見えないものが見えると訴えたり。僕が調理師として長年培ってきた経験も、認知症の母の「食」への対応には苦慮しました。食欲が落ちたり、急に偏食になったりすることも。
食事の介助、排泄の介助、入浴の介助、そして何より大変だったのが、薬の管理です。飲み忘れたり、逆に多く飲んでしまったり。毎日が、まるで綱渡りのようでした。
「ショートステイを利用してみたら?」「デイサービスはどう?」…ケアマネージャーさんからの提案も、最初は「母を他人に預けるなんて」という抵抗感がありました。でも、介護は本当に、一人で抱え込めるものではないと痛感しました。僕自身、国の指定難病である特発性拡張型心筋症を抱え、国立病院に通院しながら生活保護を受給している身です。体力的にも精神的にも限界を感じる日が多く、このままだと共倒れになるという危機感が募りました。
「介護離職」という言葉が、遠い世界の話ではなく、目の前の現実として迫ってくる瞬間もありましたね。
自治体の支援と給付金を徹底活用する!
「お母さんが認知症と診断されて、これからどれくらいお金がかかるんだろう…?」
きっと、僕と同じようにそんな不安を感じた方も多いのではないでしょうか。介護って、本当に想像以上にお金がかかります。医療費、介護サービス費、おむつなどの消耗品、場合によっては住宅改修費…。しかし、ご安心ください。国や僕たちが住む自治体には、介護に直面する家族を支えるための、心強い支援制度や給付金がちゃんと用意されているんです。
正直な話、僕自身も難病を抱え、生活保護を受給しながらの生活です。だからこそ、「使えるものは何でも使う!」という気持ちで、必死に情報を集め、申請してきました。その経験から言えるのは、**「知っているか、知らないかで、受けられる支援が大きく変わる」**ということです。
ここでは、僕が実際に利用したり、情報収集の過程で「これは絶対に知っておくべきだ!」と感じた、とっておきの支援制度を、具体的なエピソードを交えながらご紹介しますね。まるで、宝探しのように、一つ一つ、あなたに役立つヒントを見つけていきましょう。
まずは、介護の入り口とも言える**「介護保険制度」**の活用です。
- 要介護認定の申請: 診断が下りたら、まず市区町村の窓口で「要介護認定」の申請をしてください。これが介護サービスを利用するための第一歩です。申請から認定までは少し時間がかかりますが、その間も不安なことは地域包括支援センターに相談できます。僕も、ここでケアマネージャーさんと出会い、様々なアドバイスをもらいました。
- ケアマネージャーとの連携: 認定が下りると、ケアマネージャーさんがあなたの状況に合わせた「ケアプラン」を作成してくれます。デイサービス、ショートステイ、訪問介護、訪問看護…どんなサービスをどれくらい利用するか、一緒に考えてくれる心強い味方です。僕も、母の体調や僕自身の状況に合わせて、柔軟にプランを調整してもらいました。特に、疲労困憊の時にはショートステイを提案してもらい、一息つくことができた時は本当に助けられましたね。
- 利用できるサービスの種類:
- 居宅サービス: 自宅で生活しながら受けられるサービスです。例えば、日中だけ施設に通うデイサービスは、母の生活にリズムを与えてくれましたし、僕の介護負担を減らす上でも不可欠でした。家にヘルパーさんが来てくれる訪問介護、看護師さんが来てくれる訪問看護も利用しました。また、ベッドや車椅子などの福祉用具の貸与や、手すりの設置などの住宅改修費の助成も活用できます。
- 施設サービス: 将来的に自宅での介護が難しくなった場合、特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)、グループホームなどの選択肢もあります。僕も、いざという時のために情報収集は欠かしていません。
- 自己負担割合と軽減制度: 介護サービスの自己負担は原則1割ですが、所得に応じて2割または3割負担となる場合もあります。しかし、もし自己負担額が一定の上限額を超えてしまった場合は、「高額介護サービス費制度」によって払い戻しを受けることができます。医療費と介護サービス費を合算して上限額を超えた場合に払い戻される「高額医療合算介護サービス費」という制度もありますので、領収書はしっかり保管しておきましょう。
次に、医療費に関する支援も見逃せません。
- 高額療養費制度: 認知症の治療には医療費がかかります。この制度は、医療機関や薬局の窓口で支払う医療費が、ひと月(1日から末日まで)で上限額を超えた場合に、その超えた額が払い戻される制度です。これも、介護保険と合算できる場合がありますので、利用できるものは最大限活用してください。
- 医療費控除: 年間の医療費が一定額を超えた場合、確定申告で所得控除を受けられます。もちろん、介護サービス費も対象になる場合がありますから、忘れずに申請しましょう。僕も毎年、この制度を利用しています。
そして、経済的な支援として、自治体独自の給付金や手当も要チェックです。
- 自治体独自の支援制度: これが意外と知られていないかもしれません。お住まいの市区町村によって、認知症の方やそのご家族を対象とした独自の助成金や手当が用意されていることがあります。「認知症高齢者見守り支援事業」や「徘徊高齢者家族支援サービス」など、名称は様々ですが、自治体のウェブサイトや広報誌で積極的に情報を集めることが大切です。
- 【広告候補】お住まいの市区町村の介護保険課や福祉課のウェブサイトで最新情報を確認しましょう!
- 障害者手帳の申請: 認知症の進行度合いによっては、身体障害者手帳や精神障害者保健福祉手帳の申請が可能になる場合があります。手帳を取得すると、所得税や住民税の控除、公共料金の割引、交通機関の割引など、様々なメリットが受けられます。僕の母も、主治医と相談しながら申請を進めました。
- 成年後見制度: もし認知症の進行により、ご本人の判断能力が著しく低下し、財産管理や契約行為が難しくなった場合は、「成年後見制度」の利用を検討してください。これは、ご本人の権利や財産を守るための大切な制度です。僕も法律の知識があるからこそ、この制度の重要性を痛感しました。専門家である司法書士や弁護士に相談し、適切な手続きを進めることが大切です。
- 【広告候補】成年後見制度について詳しく知りたい方は、信頼できる司法書士事務所や弁護士事務所の無料相談を利用してみるのも良いでしょう。
- 生活保護制度: そして、これは僕自身の経験からお伝えしたいのですが、もし介護費用や生活費で本当に困窮してしまった場合、最後のセーフティネットとして生活保護制度があります。僕自身、この制度に支えられながら、今も生活しています。決して恥ずかしいことではありません。困った時は、迷わず地域の福祉事務所に相談してみてください。
専門家としての僕からのアドバイス
僕が母親の介護を通して学んだことは、たくさんあります。
- 早期発見・早期受診の重要性: 「もしかして?」と感じたら、迷わず専門医に相談してください。早期に介入することで、症状の進行を緩やかにしたり、適切な支援を受けたりできる可能性が高まります。
- 「完璧な介護」を目指さないこと: 介護は長期戦です。すべてを一人で抱え込もうとすると、必ず限界が来ます。時には手を抜き、時には誰かに頼る勇気を持ってください。僕も、「もっとちゃんとできたはずなのに…」と自分を責めることがありましたが、それでは自分が潰れてしまいます。
- 介護者自身のセルフケアの重要性: 介護者が倒れてしまったら、元も子もありません。適度な休息をとり、自分の趣味の時間も大切にしてください。僕の場合、ブログ執筆やポイ活(TikTok Liteの高速タップバトルで気分転換することも!)【広告候補】が、ストレス発散の一助になっています。気分転換は本当に大切です。
- 地域社会とのつながり: 地域包括支援センターだけでなく、近隣住民の方々、介護者サロン、ボランティア団体など、地域には様々な支えがあります。積極的に交流し、情報交換の場を持つことも、孤独感を和らげる上で非常に役立ちます。

感情転がし:後悔と学び、そして感謝
介護の日々は、喜びだけではありません。時には、後悔の念に囚われることもあります。
「もっと初期の段階で、母の異変に真剣に向き合っていれば…」 「介護に疲れ果てて、つい感情的になって、母にきつく当たってしまったあの時…」 「母の尊厳を傷つけてしまったかもしれない瞬間が、果たしてなかっただろうか…」
調理師としての経験から、食を通して母を支えたいと願っても、食欲が落ちて何も食べられなくなった時は、本当に無力感に苛まれました。そんな後悔が、僕の心に重くのしかかることもあります。
でも、認知症の母と向き合う中で、僕が得たものはそれ以上に大きかったと、今は心から思えます。
改めて、親への感謝の気持ちを深く再認識しました。そして、僕一人では到底乗り越えられなかったであろうこの道を、妹をはじめとする家族が共に歩んでくれたこと。家族の絆の深さを、これほど強く感じたことはありません。
母は、記憶を少しずつ失っていく中で、僕に「今、この瞬間を大切に生きる」ということを教えてくれました。過去を悔やむのではなく、未来を憂うのでもなく、今、目の前にある母との時間を、大切に慈しむこと。完璧な介護なんてできなくても、お互いを思いやり、支え合うことの温かさを知りました。
そして何より、「ありがとう」と「ごめんね」の言葉の大切さ。これは、どんな時も忘れずに伝えていきたいと強く思っています。
介護を通して、僕自身も大きく成長できたと感じています。忍耐力、問題解決能力、情報収集能力。そして、福祉・法律・金融といった専門知識が、机上の空論ではなく、実体験と結びつき、より深い理解へと繋がりました。
だからこそ、この経験を皆さんに伝えたい。もしあなたが今、介護で苦しんでいるなら、どうか一人で抱え込まないでください。僕たちの経験が、少しでもあなたの心を照らす光になれば、これほど嬉しいことはありません。
まとめ:諦めない心と、やさしさの循環へ
母親が認知症と診断された「あの日」から、僕たちの生活は大きく変わりました。それは、決して楽な道ではありませんでした。喜びもあれば、苦しみもあり、後悔もしました。
でも、認知症は決して「終わり」ではありません。むしろ、家族の絆を深め、人生における大切な学びを与えてくれる、「新しい始まり」でもあると、僕は信じています。病気と向き合いながら、いかに豊かに生きるか。そのためには、決して諦めない心と、ほんの少しのユーモアが大切だと感じています。時には笑い、時には泣き、それでも前を向いて歩んでいく。
僕が運営している雑記ブログ「hidekun.blog」や、福祉特化ブログ「やさしさガイド 〜福祉とデジタルをもっとやさしく〜」(https://www.fukushi-help.website/)を通して、この経験を皆さんと共有することで、少しでも誰かの光になればと願っています。
そして、この記事を読んでくださったあなたに、僕から伝えたいメッセージがあります。
「どうか、一人で悩まず、助けを求めてください。」
地域包括支援センターや信頼できる専門家、そして何よりも、あなたの周りの家族や友人。僕のように、インターネットで情報を発信している人もたくさんいます。頼れる場所は、必ずあります。
これからも僕は、X(旧Twitter)での情報発信を強化し、YouTubeやstand.fmとも連携したコンテンツ展開も計画中です。NotebookLMの二人掛け合い音声を使ったラジオブース風動画など、生成AIも積極的に活用しながら、皆さんに役立つ情報を届け続けていきます。
このブログが、そして僕の経験が、少しでもあなたの「やさしさの循環」の一部になれば、これ以上の喜びはありません。一緒に、この「新しい日々」を、前向きに歩んでいきましょう。